なっちゃん ぽんのブログ

フィリピンにいます

岩田さんの本を読んで

先日発売された

「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」

を読んで、私はやっぱり紙媒体が大好きだ!と思ったのでその理由をここに残しておきます。


目次

1.本の紹介

2.なんで電子書籍じゃなくて紙がいいのかな

3.本は依代(よりしろ)

4.結論



1.本の紹介

簡単に本の紹介をすると、この本は

任天堂の元社長であった岩田聡さんの言葉や思いが、ほぼ日刊イトイ新聞と任天堂公式ホームページに掲載された記事をベースに再構成し直された、岩田さんの言葉集のようなものです。(帯から一部抜粋)




2.なんで電子書籍じゃなくて紙媒体が良いのかな

まえがきや他の方のブログを見てみても分かるように、本の内容のほとんどは、ほぼ日刊イトイ新聞のウェブサイトや任天堂公式サイトで読むことができます。

また対談形式の記事なので、とても読みやすくわかりやすいです。おすすめです。

でも、私はこれが紙媒体の本になったことが本当に嬉しいことだな!と思いました。



3.本は依代(よりしろ)

そう思った理由が2つあります。

1つ目が、肌で作った人の想いを感じられるということ。そして2つ目が形のある本は何かのシンボルになれるということです。


1つ目について

本の装丁やデザイン、帯のシンプルさとか表紙の手触り、糸の栞(スピン)の色とか表紙のアイボリーの色味。ネット上の画像だけではわからない実物の良さ。視覚だけじゃなく触感で伝わる感じ。

電子書籍では、無駄だと省かれてしまう要素が、紙媒体の本では、むしろ大切にされ、一つ一つ試行錯誤を重ねて世に出てきた感じがして大好きです。

特にこの本は岩田さんに対しての敬意とか慕う気持ちとかが前面に押し出されてて、丁寧に作られたんだな、と誰もが思う気がします。だから紙媒体としてこの本が売られて、それを買うことができて嬉しいなって思います。


2つ目について

そういった想いの詰まった本って、何かの象徴であったり、想いの依代になれる気がします。


具体例としてですが、

留学先フィリピンでのホームステイ先の家族はキリスト教を信仰していて、月一で親戚が集まりミサをしていました。

そのときに使われる聖書は絶対に紙媒体で、聖書が人数分に足りないってときも、紙媒体をシェアしてました。みんなスマホを持っているにも関わらず、スマホの画面で内容を確認している人はいませんでした。


そう考えたら、たしかにお坊さんがお経を読むときもスマホじゃなくて紙だなとか

学校の式典の祝辞はわざわざ和紙に仰々しく書かれてるなとか


形式だったり、何かの信仰だったり、想いが詰まったものは形があるものに向かっていきやすいのかもなと思います。


そんな想いの依代になれる可能性を秘めてると思うから、この本が電子書籍というクラウド上の情報としてでなく、紙の媒体として私の手元にあることを嬉しく思います。


4.結論

漫画を読む用と保管用に分けるために2冊買う人がいたり、CDを思い出用として買う人がいたり、無形商材になっていく分野の中で、そういった商材が有形である意味は、私達が子供のときより確かにくっきりはっきりしてきているなと思います。



読んでみてね!

https://www.1101.com/iwata20150711/index.html

ほぼ日刊イトイ新聞、岩田さんの特集


https://www.nintendo.co.jp/corporate/links/index.html

任天堂公式サイト 社長が訊くのリンク


https://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E3%81%95%E3%82%93-%E5%B2%A9%E7%94%B0%E8%81%A1%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E8%A9%B1%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82-%E3%81%BB%E3%81%BC%E6%97%A5%E5%88%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A4%E6%96%B0%E8%81%9E/dp/4865014225

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エモさの切り売りは大変だというお話

こんにちは!なっちゃんぽんです。


突然ですが

みなさんQUEENを知っていますか?


そうです、イギリスの伝説的ロックバンドです。


そのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記ミュージカル映画


『ボヘミアン・ラプソディ』を


見てきましたぁぁぁ!はい!


普通にめっちゃよかったです。感動しました。


そこで思ったんですけど

エモさの切り売りって本当にすごいことじゃないですか?ということをちょっと書こうと思います。



映画の中で

主人公のフレディ・マーキュリーは、本当にスターというスターがたどるであろう人生ど真ん中を歩んでいきます。


そこでやっぱり色んな人に騙されたり、大切な人を裏切ったり様々なことが巻き起こるのですが、


終始フレディの顔がどことなく落ち着かなさそうで、見ててとても悲しくなりました。

いつも何かに怯えている感じが伝わってきました。


彼はその歌唱力と独特の感性でスターの座にのぼりつめますが、もう中盤からの孤独さといったら。やばかったです。見てられない。


でもこういったスターになる人というのは自分の中の弱い部分やインスピレーションを削りとって作品を作るのでしょうね。


それが色んな人に受け入れられる。

自分の中のエモさの切り売りで曲ができるのだとしたら、本当に命がけですね。


本当にスターはすごいです。



あとメアリーもすごいです。

この映画のキーパーソンです。

え?菩薩なのかな?ぐらいにすごいです。

ネタバレしちゃうのであまりかけませんが本当にメアリーはすごい人です。


あとラスト10分からの怒涛のシーンもすごいです。生きててよかったぁぁぁみたいになります。ほんとうに。


何が言いたいのかというと

ほんとうに、『ボヘミアン・ラプソディ』ぜひぜひ見てください。ということです。


それではまた



多分オフィシャルサイトです↓

https://www.foxmovies.com/movies/bohemian-rhapsody



バナナの話

みなさんこんにちは、なっちゃんぽんです。




突然ですがみなさん、バナナ好きですか?




私実は、フィリピンに来る前はものすごくバナナが苦手でした。それこそ親の仇のように嫌っていました。


バナナ食べてる人何考えてるんだろう?え、どういう気持ち?みたいな目でバナナを食べてる人を訝しげに見ていました。今考えるとすごくおかしな人ですね。


でもフィリピンきてバナナ食べれるようになったんですよ。今日はそのことについて書きたいと思います。



1:バナナ嫌いの理由



そもそもなぜバナナが苦手だったのか。



私は日本におけるバナナの、え?俺フルーツだけど?その昔、(私たちのおばあちゃん世代でしょうか)デザート界で結構幅きかせてたんだけど?(今も現役ですね)何か?文句ある?


みたいな感じがすごく苦手でした。(あくまで私個人の話です)


バナナがもつ特有の曖昧さ、立ち居振る舞いが嫌いでした。



意味がわかりませんね。

詳しく説明します。



はじめに

日本にはおかずにもなれるけど、デザートやおやつにも使える、そんな優秀な炭水化物食材が多くあります。


さつまいも、かぼちゃ、じゃがいも、栗です。


さつまいもは

さつまいもごはんや天ぷらというおかずになれる一方、焼き芋やスイートポテトというデザートやお菓子にもなれます。


かぼちゃは

かぼちゃの煮物にもなれるしパンプキンパイにもなれます。


じゃがいもは

そもそも主食として食べてる国も多くありますし、ちょっと甘いマッシュポテトにもなります。給食に出た時好き嫌いが分かれたあれです。(ここの違和感は見逃してください。)


栗は

栗ご飯になれるし、モンブランにもなれます。


これらの共通点は、炭水化物かつ甘い。です。


このように、主食とデザートを行き来できる夢のようなカテゴリーに私はバナナをどうしても当てはめたかったのです。


バナナだって炭水化物かつ甘いやん!

と強く思っていたのです。


思い出してみてください。


朝バナナダイエットとか流行りましたよね?あれってバナナが栄養もあってエネルギーも出せる炭水化物だからですよね?


マラソンランナーとかバナナ食べますよね?あれって食べやすい形とすぐエネルギーに変わる炭水化物だということが抜擢された理由だと思いませんか?


私は、バナナをオレンジやブドウのようなフルーツカテゴリーに入れることが許せなかったのです。


だってバナナの立ち位置は絶対にイモ系やん!主食系やん!と一人憤っておりました。



日本のバナナはそんなに甘くないこともありました。フルーツ感が無いと常に感じていました。



ポテトチップスと同様にバナナチップスはあるけど、オレンジやブドウを揚げたものはないですよね?(あったらごめんなさい)



じゃあなんでさつまいもごはんはあるのにバナナごはんは無いんだ!(あったらごめんなさい) と頭を抱え、


あいつはフルーツみたいな顔をしている!芋なのに!とバナナを忌々しく思っておりました。



私がバナナを食べるときに、フルーツと思うほど甘く無いし、かといって主食と思うほどホクホクした芋感もない。

どちらかというとにちょにちょしている。


そんなバナナをどういう気持ちで食べたら良いのか。

お前は芋なのかそれともフルーツなのか!という問いに、はっきりした答えが欲しかったのです。自分勝手ですね。


(ちなみに調べてみたところバナナはバショウ科でショウガの仲間のようです。芋ではないのですね。)


このように日本ではバナナの立ち位置が曖昧です。フルーツとしてデザートに使われるけど、炭水化物として、栄養源としても食べられる。ただおかずとしては使われない。バナナはあくまでフルーツという認識。



この現状について、

面白いと思った例をあげます。



私の高校の友達Aちゃんは、いつもお弁当を一緒に食べているBちゃんのデザートについてぽろっと不満を漏らしたことがあります。


"あの一段弁当の一角に入ってるバナナを私はデザートと認めることができない"


って。


Bちゃんが一段弁当だったから、おかずのとなりに座っているバナナに違和感を覚えたのかもしれません。

フルーツ用のタッパーに入っていたらAちゃんは何も思わなかったかもしれない

その一角にバナナじゃなくて、ブドウが入っていたらAちゃんは気にも留めなかったかもしれない。



けれど、このことからたしかに分かることは、Aちゃんの家ではバナナはおやつ、または主食として。Bちゃんの家ではバナナはデザートとして扱われているという事実です!(実際のところはわかりませんが)




みなさんお気づきでしょうか。




そう、

日本における

バナナは主食、炭水化物である。

バナナはあくまでデザートであり、フルーツである。

というこの2つの認識が曖昧に混在していることこそが、私がバナナを嫌う理由だったのです。


だってバナナは食後のデザートですか?それとも遠足のおやつに入りますか?なんて永遠のテーマですもんね。



この問題は奥が深いです。



例えば、



周りにフルーツグラタンやフルーツサラダ嫌いな人いませんか?それって主食とデザートを混合するな!みたいな発想から来てるのではないでしょうか?



そのほかにも、


みなさん、

フィリピンではアボカドをフルーツとして食べることを知っていますか?

フィリピンの人はアボカドにコンデンスミルクをかけて甘くして食べます。アボカドアイスなんかもあります。


え?アボカドには刺身醤油とわさびでしょ?何いってんの?こわ!って思った方!



その感情こそが私がバナナに抱いてる感情そのものです。

これも主食とデザートが混同されてしまったから起こるものですよね。



ほら、ちょっと見渡しただけでも

こんなにたくさんの主食とデザート認識混合問題があります。もちろん個々人や育った文化で異なっては来ると思いますが、

自分にとっての異文化に触れるたび人が感じる感情ですよね。これってものの好き嫌いに結構関係してくる気がします。




2:バナナを克服した話



ここで

いよいよバナナを克服した話に移りたいと思います。


フィリピンに来ることで、すごく簡単にバナナ嫌いはするっとちゃちゃっと克服できてしまいました。



理由はただ一つ、



バナナがちゃんとおかずとして扱われていたからです。



東南アジアでは主食用バナナが栽培され、バナナをおかずとして食べる。これは授業で習ったり調べたりしてなんとなく知っていました。


でもバナナ嫌いを直すことはできなかったです。知識だけは持ってても日本でおかずのバナナを実際に見たことはなかったし、食べたこともなかった。経験したことがないと偏見ってやっぱり覆りませんよね。



そして実際にフィリピンに来てみると、やっぱり本場は違いました。

バナナ自体にすごくたくさんの種類があるんです。日本で売られているものや、それより一回り小さいもの。赤いバナナや緑のバナナ。


バナナだけでもこんなに種類があるのね!と感動しました。


中でもおかず用に使われるバナナには本当に炭水化物、主食。と言い切れるような清々しさを感じました。ちゃんと食感が芋っぽいんです!

なんだかボソボソしてる。ホクホクじゃないけど、炭水化物な感じがとてもする。ステキなバナナです。


主食用バナナを使ったおやつもあります。

バナナキューです。

主食用バナナを3つ串に刺して、炙ってカラメルをつけたおやつです。パサパサした大学芋みたいで美味しいです。


そして、普通のバナナが本当に甘くて柔らかくて美味しいんです!日本のと全然違うんです!フィリピンにきて、はじめてあまり硬すぎず、ちゃんと甘いバナナを食べて、私はバナナをフルーツだと思えることができました。


ちゃんと食用とデザート用ってバナナの品種が分かれてることもバナナをフルーツと思えた大きい要因かと思います。




3:結論


日本ではバナナは主食としても食べられるけど、あくまでフルーツという認識だから2つの認識の境界があいまい。


一方


フィリピンではバナナが主食用とデザート用に分かれていて認識が混同されてないし、バナナの立ち位置が明確!


そしてなによりも美味しい!!


フィリピンてすごいね!!


みんなフィリピンにバナナ食べにおいで!!


そして食べ物の好き嫌いって別に食感とか味の違和感だけで起こるものではないのですね。


という自分の身勝手なバナナ嫌いから、こんだけ派生することができました。


本当に美味しいから、食べにきてね。


ここまで読んでくださってありがとうございます。ご意見感想ございましたら是非お聞かせください。ではまた


おしまい!



言語習得における2つの現象について考えてみた


みなさんこんにちは、フィリピンに留学3ヶ月目のなっちゃんぽんです。


最近自分の他言語習得に関して思うことを書いてみました。少し長いですけどもしよかったら読んでみてください!




まずはじめに



みなさん留学をしたことはありますか?または海外旅行したことはありますか?その際現地の言葉や英語を使ってコミュニケーションとったことはありますか?


言語を学ぶのって結構根気のいる作業ですよね。そのために一番使われるのが留学だったり語学学校だと思います。




そして、

他言語習得の時って、文法をある程度学んでから現地で試してみる、または現地の語学学校などで学びながら、人間関係を築く中でスキルを上げるという方法がメジャーだと思うんです。



言語習得のために、現地の人、つまりネイティブと会話するのは避けられないし自分の語学力向上のために必要不可欠ですよね。




でも、最近、その過程で2つ避けられない現象があるんじゃないかな?少なくともわたしにはあるぞ!って思い始めました。これについて書きたいと思います。



・まず1つ目の壁  「シャイだぜジャパニーズ現象」



留学初期に巻き起こる、間違うのが怖い、間違って馬鹿にされたらどうしよう、嫌われちゃわないかな?ダメな奴って思われないかな?だから話すの怖いな…でもこれだと伸びないし…こんな自分嫌い、もうやめたい無理!!日本帰る!っていう不安と心配が起きちゃう現象


これを1つ目の現象:「シャイだぜジャパニーズ現象」だと私は思います。 


他の人はどうか分からないですけど、私にはありました。 めちゃめちゃありました

(留学した人は少なからず抱く感情らしいです。本当かはわからないけど。)



 だって普通に好かれたいし自分のことすてきだと思ってもらいたいもんね。仕方ない!

でもこれは2-3ヶ月するとだんだん慣れて来る問題だと思うんです。 環境に慣れるし、知り合いも増えて来るし、場数も踏めるし。



それは普通に克服できる場合も多いと思うのであまりここでは触れません。




最近感じるのはその先の問題で、

2つ目の現象:名付けて

『「ちょっと喋れるやつ、調子乗ってんじゃねえぞ?」と思っちゃう現象』です!!



本当に今から底意地の悪いことを書くのであまり怒らないでほしいです。ごめんなさい。




これは私が感じているだけなのかもしれないので、一個人の意見として見ていただけると嬉しいです。




詳しく説明します。




私の周りには日本語に興味を持ってくれて、かつ日本語ばりばりに喋れる方が沢山います。

その多くの方が独学だったり留学してたからちょっとわかるよ~みたいな感じです。



もちろん日本に興味持ってくれて嬉しいし、すっごい日本語話せるから安心して話せる。


でもやっぱり彼らの母語に比べたら日本語は、圧倒的に始めたてじゃないですか。

だからところどころ間違えもする。

それにアニメやドラマで興味を持ってくれてるから、すごいニッチな口癖を語尾につけたりする。



例えば、

向井理を知っていますか?じゃなくて

向井理が知っていますか?みたいな助詞の間違いがあったり



~したいなぁ

~したいかやぁ

っていう初めて聞いたぞすごいなそれ!っていう語尾だったり




ちょっと違和感感じるけど意味わかるからまぁいっか。っていうことが多々あります。


し、いちいち訂正しないです。人間関係良好にしたいし、そもそもいちいち説明するのめんどくさいし。生徒と先生じゃないしね。



加えてたまに、よくないワードをすっごい笑顔で言われて、その場の空気シラっとする、みたいなこともあります。



また相手がめちゃめちゃ喋れるが故に、相手に日本人と同じ振る舞い方を期待しちゃうみたいなこともあります。(これ本当に良くない考えだと思う、でもしてしまう)


英語で言ったら違和感ないんだけど、日本じゃ違う、日本人ぽくない!みたいな。そもそもフィリピン人だから文化背景違うのにね。



こういった

日本語喋れる外国人に、私たちネイティブと同程度の日本人らしさ、日本人の振る舞いを期待してしまう、そしてそのくせに間違いを訂正してあげない現象。


それこそが2つ目の壁:『「ちょっと喋れるやつ、調子乗ってんじゃねえぞ?」と思っちゃう現象』なのです。



そしてこれの一番よくないところは、絶対同じことを、私たち留学生も留学先のネイティブにしちゃってることを棚に上げて、

日本語を学びたがってる相手ときちんと向き合ってないことなんですよね。(あくまで私個人の話です)




拙い言葉で一生懸命話すけど、あんまり通じ合えなくてもどかしいし、相手もつまらなさそうだぞ?とか



なんか間違えたこと言ったっぽいけど、誰も間違いを教えてくれないぞ?とか



そういう経験いっぱいしてるのに。不誠実ですよね。相手に対して。



間違いをたくさんするのが語学習得には一番いいぞって言われてるけど、それってどういう間違いをしているのか理解できる、教えてもらえる環境があってこその方法なんですよね。




周りの寛容さや指摘してくれる誠実さをもらっておきながら、返さない、返せないこの怠惰さ。



結局自分の性格が悪いからなような気もしてきますが、



小さい子の相手を24時間するととてつもなく疲労するように、少なからず、

普通の会話をのぞめない相手(初対面であったり、言語のフォローをしなければいけない相手)

との関わりは疲弊するものなのではないでしょうか?(異論はみとめます)



それゆえに出てしまう不誠実さ。相手は言語を覚えたてだということを理解しているのに、めんどくさがってしまうこの現象。



これを第2の言語習得上の避けられない現象だと呼んでもいいんじゃないかなと私は思います。留学生活3ヶ月目を迎えた今、この問題を強く感じます!


ただ単に私が他人に対して寛容ではなく、人の反応に敏感すぎる自意識がやばい人間なだけかもしれません。

でもやっぱりそこも直しつつ語学のスキルも高めたいです。

寛容な人間になりたいです。

というわけで自戒の念も込めて書いてみました。



お互い教えられることは教えつつ、誠実に寛容に、周りのみんなと素敵な関係を作っていけたらなと思います。日々訓練ですね!







ここまで読んでくださってありがとうございました!ご意見ありましたらぜひお聞きしたいです。ではまた



おしまい!

はじめました

こんにちは。なっちゃんぽんです。

フィリピンに留学して1ヶ月になりました。

こちらでの生活にも慣れはじめ、日本にいたときよりも多くの経験をしていることを実感しています。

フィリピンでの生活について思ったことや紹介したいことがあれば、ここにポツポツと書いたりしていきたいです。

あくまで個人の感想や意見ですので、鵜呑みにせず、こういうこと考える人もいるんだなあと思っていただけたら幸いです。

よろしくお願いします。